Column コラム

BUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)のインディーズ時代のアルバムCDの内容

2000年9月のメジャーデビュー以降、代表曲”天体観測”をはじめ、数々の名曲・ヒット曲を生み出し続け4人組ロックバンド、BUMP OF CHICKEN(通称:バンプ)。

聴く者の感情を揺り動かすような歌詞とメロディーは多くの人の胸を打ち、ファンならずとも、きっと誰もがどこかで曲を聴いたことがあると思います。最近もCMで曲が使用されていました。

そんな、平成を代表するバンドとなったバンプですが、彼らにもインディーズで活動していた頃がありました。

彼らは一体どんな風に出会って、どんな活動をして、日本のロック界のトップまで昇りつめたのでしょうか。

今回はBUMP OF CHICKENのインディーズ時代の活動、特にアルバムCDの内容にスポットを当てて、彼らの魅力の源を探りたいと思います。

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4人の友達 ~出会いから結成まで~

BUMP OF CHICKENは、Vo&Gt藤原基央、Gt増川弘明、Ba直井由文、Dr升秀夫の四人組です。

全員が1979年生まれの幼馴染で、その出会いはなんと幼稚園の頃まで遡ります。CDの隠し曲なんかでもかなり仲の良さを感じるのは幼馴染だからかもしれませんね。

幼稚園の頃はお互い顔は知っている程度の認識でしたが、小学校を卒業後、全員が千葉県佐倉市の同じ中学校に進学し、全員がバスケ部に入部しました。運命的ですよね。

しかし4人とも万年補欠で、よく体育館の倉庫に閉じこもる”暗闇ごっこ”をして遊ぶなど、交友を深めていきました。遊びの内容がかなり闇が深いです。今の明るい雰囲気のアルバムからは想像できませんね!

その後、中3になり、文化祭に出るためにBUMP OF CHICKENのある意味前身となった”ハゲバンド”というバンドを結成。インディーズ時代というかもはや素人っぽいネーミングです。

 ”STAND BY ME”など主に洋楽の有名曲をコピーしていました。

この頃のBUMP OF CHICKENは増川とは違うギタリストが居たため、増川はスタッフ的な役割を担っていました。インディーズ時代にありがちな話です。

1995年、それぞれの高校に進学してからは、後にアルバムCDにも収録されたオリジナル曲を引っさげ、各地のバンドの大会へ出場するようになり、この年の秋には藤原が高校を中退、本格的に音楽にのめり込んでいくことになります。

しかし、当時のギタリストはあまりやる気がなく、バンドの将来に不安を感じていたメンバー達。

そこで、増川をギタリストに据え大会に出たところ思いのほか健闘しました。

結果、当初のギタリストはバンドを離れ、それ以降は四人での活動をスタート。この頃にバンド名をBUMP OF CHICKENに改名しました。

ちなみに、このバンド名はメンバーが考えた造語で、”臆病者の一撃”という意味が込められています。

 “自分たちのような臆病者でも、何か出来るはず!”。

そんな決意を持ってスタートしたバンプは、後にその名の通りの大活躍を見せることになります。バンド名は後にインディーズ時代を象徴するアルバムCDのタイトルにもなりました。

臆病者、翔び発つ

現在のメンバーが揃ったのは1996年2月。ここからBUMP OF CHICKENの快進撃が始まります。

まず、同年の夏に”Beat Brust in japan”というコンテストで全国大会に出場、なんとグランプリを獲得します。

その時に演奏したのが、現在もライブでアンコールの定番曲になっている”ガラスのブルース”です。

既に優れた音楽センスがあったことが窺えますね。

そこから都内のライブハウスに出演したり、千葉県内ツアーを敢行したりするなど、まだ10代の少年たちながらも精力的に活動していきました。

そのツアーの後に”ガラスのブルース”を含む3曲入りの内容のデモテープを制作し、配布しました。

このデモは、初のデモテープで、インディーズ時代の貴重な音源として、現在もオークションなどで高値で取引されています。

その後も精力的に数本のデモテープを発表します。

1998年10月に自主制作アルバムCDBUMP OF CHICKEN”を500枚限定で発売。

内容はメジャーデビュー後にシングルで再録した”アルエ”を含む4曲入りで、わずか1ヶ月で完売しました。

この勢いに乗り、翌1999年3月にハイラインレコーズから”FLAME VEIN”でインディーズデビューを果たします。

このアルバムはレコーディングをわずか3日で終えたと言われています。

あまりの強行スケジュールのレコーディング中に、自分の体の血管が浮いているのを見た藤原がマグマのようなものを連想し、それが”炎の脈=FLAME VEIN”というタイトルに繋がったというエピソードが残っています。いくらインディーズ時代とはいえ、なかなか酷い話です。

その後、BUMP OF CHICKENはシングルCD”LAMP”を挟み2000年3月にインディーズ最後のアルバム”THE LIVING DEAD”をリリースします。

このアルバムは物語性を持ったコンセプトがある内容で、多忙なスケジュールや契約問題などに疲弊していた時期に制作したことから、当時の自分たちを表す言葉(生ける屍)をそのままタイトルにしました。

ちなみに、カルト的な人気を誇る“K”が収録されていることは有名ですね!

まるで一冊の小説を読んだような錯覚に陥るような内容です。知らない人はぜひ、聞いてみてください!

BUMP OF CHICKENのインディーズ時代に制作されたこれら2枚のアルバムCDは、メジャーデビュー後に追加曲を含めて再発売されており、粗削りながらも凄まじい熱量を持った楽曲たちは、今なおファンを魅了してやまないのです。

そして世代を超えて愛されるバンドに

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インディーズ時代を経てメジャーデビューした後も“天体観測“などの数々の名曲CDを発売しているバンプ。

その活躍は言わずもがなで、もはや世代を超えた人気を誇るバンドと言えます。

ちなみに筆者はアルバム“ユグドラシル”に収録されている”ロストマン”という曲に感動して大泣きしたことがあります。歌詞の内容がたまらないですね。

それほど胸を打つBUMP OF CHICKENの楽曲は、幼いころから一緒にいた4人だからこそのグルーヴ、藤原基央の心に刺さる歌詞が絡みあって出来ているのだと思います。


そんな、バンプのようなバンドになり得るダイヤモンドの原石は、実は今もインディーズ時代をどこかで音を鳴らしながら戦っているかもしれません。

ぜひ、あなたのその目、その耳で探してみて下さい。

インディーズだったBUMP OF CHICKENが“ガラスのブルース“のような名曲を演奏していたように、きっとあなたの街でも素晴らしい音楽に出会えるはずです。

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