Column コラム

日本人ロックミュージシャンの人気ランキング

日本のアーティストを順位付けするとき、それぞれの好みもあるので何を基準にしていいのか分からないですよね…!

さらに、J-ROCKというジャンルの中は、メタル系・ポップ系・V系・パンク系・ラップ系など多数に分かれています。

なので、今回は完全に独断と偏見でロックミュージシャンをランキング付けしてみました!

賛否両論、色々な意見があると思いますが、今回はあくまでも筆者の”個人的な”順位としてお楽しみいただければと思います!

それでは今から10組紹介していきますよー!

①[Alexandros]

サムネイル

24日発売の"Swan"のMVです。

せつないメロディ、ボーカルラインですね。

 

最初に、飛ぶ鳥を落とす勢いでミュージックシーンを席巻しているロックミュージシャン[Alexandros]をご紹介します。音楽番組の人気ランキングでいつも見ますね。

このバンドは、ハードロック・オルタナティブロック・エモロックの分野に入ります。

どのフェスに行っても"[Alexandros]"の名前が入るほど、今が一番旬なバンドと言えるでしょう。今年だけでいくつのフェスに出たんでしょうね。

東京都出身の4人組で、2001年、大学でメンバーの川上洋平がバンドを組み活動を開始しました。

その後、何度かメンバーチェンジを繰り返し、2010年に現在の川上洋平・磯部寛之・白井眞樹・庄村聡泰の4人になりました。

 

結成時のバンド名は”[Champagne]”でしたが、”オトナの事情”で改名を余儀なくされて、2014年3月に、現在の"[Alexandros]”へと改名しました。

"Champagne"という名前の由来は、酔いしれるという意味からその場所(ライブ会場など)にいる全員が彼らの造り出す"音"に酔いしれて欲しいという願いと意味を込めて名付けられています。

そして、[Alexandros]というバンド名には…深い意味が…意味が…ないそうです(笑)川上洋平は、完全に見た目と響きだけでこの言葉を選んだそうですよ。

改名してからのほうが有名になっているので多分、フィーリングで選んで成功したと言えるでしょう!

 

そんな[Alexandros]を語る上で、欠かせないフロントマン川上洋平。日本人ロックミュージシャンの中でもトップクラスのイケメンですね(笑)

川上はボーカルとギターを担当しており、"[Alexandros]"の曲の作詞・作曲は殆どが川上によって行われています。

川上は、9歳から14歳までシリアに在住した経験があり、その時に組んでいたバンド名が既に”[Champagne]”となっています。

シリア在住の経験から、川上が喋る英語は中東なまりの英語の発音です。日本人でもかなり英語が流暢ですよね!

[Alexandros]の曲の特徴として、日本語と英語を行ったり来たり変幻自在に言葉を使うというルーツはここから来てるんですね!

川上を始めとして、全員がバンド結成以前は、企業の社員として働いていたという一風変わった一面もあります。

そして、2010年に"city”で”Champagne"としてメジャーデビューしました。名曲ですよね。

ちなみに”[Alexandros]”に改名してからのデビュー曲は、2014年の"Adventure/Droshky”です。

 

サムネイル

特にCMでは、お父さん世代に名前が浸透したかもしれませんね。

言葉と映像がよくマッチしており、川上の才能に驚かされた一面でした。

②Superfly

サムネイル

厳密にはロックミュージシャンというジャンルではないかもしれないですがsuperflyも欠かせません。女性が好きなアーティストの人気ランキングでも上位です。

"Superfly"は、当初、ボーカルの越智志帆とギターの多保孝一の2人組でした。

元々は、大学のサークル内で既に組まれていた"Superfly"というバンドに越智志帆が加入しボーカルを努めますが、2人の音楽性が日本人よりも、ブルースに近かったため、メンバーの入れ替わりが激しいバンドでした。

結局、2人組みのままメンバーも集まらず、2006年まで地元でインディーズとしてLIVE活動をしていましたが、活動の拠点を東京へ移し、2007年4月に"ハローハロー"でメジャーデビューしました。

デビューから間もなく、ギターの多保がアレンジャーなど他の仕事で忙しくなったという理由から2007年11月に脱退。
現在の形のボーカルの越智志帆だけのソロプロジェクトとなりました。

 

ボーカルの越智志帆は、"Superfly"の楽曲のほとんどで作詞を担当しています。

決して身長が高いとは言えない彼女ですが、声の音域・ボリュームでは他の人には負けない力を持っています。

その歌い方は、インディーズ時代にギターの多保に勧められて聴いたジャニスジョプリンの"Move Over"の影響によるものだそうです。

また、アメリカで行われた"Wood  Stock"40周年liveに日本人として初めて出演したロックミュージシャンということでは、彼女の名前を一躍有名にしました。

そういえば、その時に歌った曲もジャニスジョプリンのようで、歌い方も声の出し方もそっくりですね。

 

今までにテレビドラマの主題歌やサッカーのテーマソングなど、数多くのタイアップをしている"Superfly"です。

サムネイル

③"BACK-ON(ばっくおん)"

サムネイル

見事なまでのバンドのネーミングです。

英語と日本語の発音とを上手く重ねて意味を作っています。日本人ウケが良いですね。

"BACK-ON(ばっくおん)"は、2002年に幼なじみで結成されたミクスチャー系4人組ロックバンドです。

以前はドラムがいましたが、現在ではサポートドラマーを迎えて活動を行っています。

2005年にメジャーデビューしています!

"BACK-ON(ばっくおん)"というバンド名は、RIZEのJESSEが名付け親で、漢字で"爆音"を当て字とさせる意味で名付けたようです。

そんな彼らの知名度が上がったのは、2008年にGReeeeNとのコラボグループ、"BAReeeeeeeeeeN"でリリースした"足跡"というシングルがオリコン人気ランキングで7位になったのがきっかけでした。ロックミュージシャンとボーカルグループのコラボは珍しいですね。

サムネイル

14枚めのダブルA面シングル『Departure/STRIKE BACK』です。

Departureは、学校のCMに使用され、STRIKE BACKはTV/アニメで起用されています。

"BACK-ON(ばっくおん)"は、"光"と"風"をコンセプトとしており、希望の光と、一歩を踏み出せないでいる人たちの背中を押すという追い風という想いが込められてます。

彼らの活動の場は、国内だけに留まらず、日本人のロックミュージシャンとして海外でも高い評価を得ています。

メンバーのKENJI03の語学力と、育った家庭環境からも海外での活動に良い影響を与えたと言えるでしょう。

④Rayflower

サムネイル

"Rayflower"は、SHOPIAの都啓一を中心として、それぞれバンド活動を行っている5人の日本人ロックミュージシャンが集まって結成されました。

2010年5月に、テレビアニメのテーマ曲として作られた"裏切りのない世界まで"で、"Rayflower"としてデビューしました。

人気ランキングを独占するミュージシャンの集合体です。

サムネイル

YUKIのギターリフが印象的な曲です。

そして、どこかしらSHOPIA的な音運びも感じることができます。

それにしても、ボーカル田澤の力強く伸びのある声は、すばらしいですよね!

 

"Rayflower"はそれぞれのバンドで活動している日本人ロックミュージシャンが集ったスペシャル感が特徴です。

キーボード担当がSHOPIAの都啓一、ドラムはZIGZOのSAKURA、ギターがDUSTER-3のYUKI、ベースがCube-rayのIKUO、そしてボーカルはエルニシオンの田澤孝介の5人です。

ベースのIKUOは、録音、ライブ共に指弾きで、ソロの部分では、ギターかな? と思えるほどの卓越した演奏技術の持ち主です。スペシャル。

サムネイル

ミニアルバムは、数枚発売されていますが、フルアルバムとしての1枚目は、2015年10月発売の『Color &  Play 』、2枚目がLIVE  ALBUM  『TOUR 2015~ Color &  Play~@品川ステラボール』というLIVE CDとです。

2015年のlive tourが気になるファンにとっては、きっとたまらないアルバムでしょう。

ちなみに、2010年に1枚目のシングルを出していますが、メンバーそれぞれが掛け持ちで活動していたり、サポートのロックミュージシャンとして他のアーティストと一緒に活動するなど、スケジュールがなかなか合わないためでしょうか、2015年からライブ活動を開始しました。

豊富な経験を積んだメンバーですが、ファンとの接点を増やそうとRayflower chという企画では、youtube上で、スタジオでの姿などを動画で配信しています。

サムネイル

バンドを通して、メンバーの経験からの"安心な音"を聴く事ができます。

また、一度聴いたら覚えてしまうようなメロディラインも特徴がありますね。

メンバーそれぞれが既に有名になっていますが、5人が揃うとまた一味も違った形での"Rayflower音"が造り出される世界ですね。

⑤La’cryma Christi

サムネイル

1991年に結成された日本人V系ロックバンドです。

La’cryma Christiというバンド名は『キリストの涙』という意味で、インパクトもあって、1990年代には、当時の若者の間で有名となっていました。

ジャンルはV系となっていますが、プログレッシブ・オルタナティブ・ハードロックなど多彩なジャンルの曲を演奏しています。

 

彼らの活動期間は、1期は1991年から2007年、2期は2009年から2010年、そして3期が2012年と3期に渡っています。

その間、音楽性の方向の違いで、メンバーも入れ替わったりしています。

 

3期では、ボーカルのTAKA、ギターがHIROとKOJI、ベースがSHUSE、ドラムがLEVINという5人のメンバーで活動しています。

この5人は、"La’cryma  Christi"の他に、それぞれが別にバンドを組んでいます。

サムネイル

メンバーは、殆どが関西の出身です。

1991年に結成されましたが、その当時のバンド名は現在と違い"STRIPPE-D-LADY"でした。
そして、1994年ベースの入れ替わりでSHUSEになってから"La’cryma  Christi"となりました。

2005年にはKOJIが脱退し、その後2007年1月に一度解散しています。

解散以降、それぞれがロックミュージシャンとして別々にバンド活動を行いますが、2009年にKOJIを迎えて久しぶりにROCKフェスに参加、その後2012年にはメジャーデビュー15周年LIVEツアーがありました。

 

バンドのコンセプトは、"La’cryma Christi"という名前から、誰も見たことのないキリストの涙の色を音楽で表現する、というものです。

過半数がハードロック・ヘビメタというジャンルのバンドが好きという点で共通していています。

広範囲のロックミュージシャンの曲を聴いていたSHUSEですが、その中には有名なビートルズもあり、好きなバンドとして日本人の有名なDEAD  ENDも挙げられています。他にHIRO、KOJIもDEAD  ENDに影響を受けたようです。

 

彼らのシングルで一番人気ランキングが高かったのは、チャートで3位を獲得した『未来航路』です。

全曲を聴いてみると、作曲した人によって"音"が違っており、誰が作ったか?ということがすぐ分かります。

そのため、ファンによって好きな曲も分かれるそうで、メンバー全員の個性が出ているバンドの利点と言えるでしょう。

 

また、インディーズの売れない時代、HIROはTAKAと一緒に住んでいて、その時はお金がなくてキャベツの葉をかじって生活していた日々もあったそうです。そこからメジャーへと上り詰めたんですね。

⑥聖飢魔Ⅱ

"聖飢魔Ⅱ"は"聖なるものに飢えた悪魔が再び蘇る"ということから、悪魔教を布教することを目的とした教団として"聖飢魔Ⅱ"を通し、地球を制服することを目的として、1982年大学内で結成されました。日本人ロックミュージシャンというか悪魔です。

その後、1985年までの間に4回もの悪魔人事異動が行われており、第4期聖飢魔Ⅱのメンバーで現在の体制が出来上がりました。

人間界での音楽のジャンルでは、ハードロックに入ります。

 

魔界で結成された"聖飢魔Ⅱ"は、1983年にあった車のCMのためフェスに出たところ、音楽関係者からオーディションの誘いを受け、そのオーディションで特別賞を獲得し、地球デビューを果たしました。日本人じゃないです。悪魔です。

さらに、1985年、大教典『悪魔が来りてヘヴィメタル』を発布しました。

その後、小教典『蝋人形の館』と大教典『THE  END  OF  THE  CENTURY』を発布しました。

この大教典は、オリコン人気ランキングで5位になりました。

しかし、ある音楽雑誌のディスクレビューで0点を付けられたという話は有名ですよね。0点つけたライターは後ほど蝋人形にされたとかされなかったとか。お前も蝋人形にしてやろうか!

また魔界独自の奇妙な姿やパフォーマンスということで、多くの映像媒体に出演し悪魔教を布教し、さらに各地で黒ミサを行いお布施を集めるという悪魔的なロックミュージシャンとしてのスタイルが話題を呼びました。
そして、各種悪魔用語がさらに人気を集めたのです...

悪魔用語とは

  • バンド=教団
  • メンバー=構成員
  • ライブ=黒ミサ
  • チケット代金=お布施
  • レコード会社=教会
  • CDシングル・アルバム=小教典・大教典
  • リリース=発布
  • ファン=信者
  • マネージャー=侍従
  • ファンクラブ=魔人倶楽部

 

このような独自の用語を使用するロックミュージシャンとしてもかなり有名です。

悪魔用語を使うことだけでも、信者の間では特別な想いとなり、自分たちだけの"優越感の漂う不思議な悪魔の世界"へ入りこむでしょうね。

 

地球制服したけれど...

聖飢魔Ⅱは、1999年夏ごろに地球を征服し、その後はメンバーそれぞれが魔界へ戻るという計画でしたが、侍従(マネージャー)のミスで、1999年12月までスケジュールを入れてしまい、12月31日に魔界へと姿を消していきました。

そして魔界へ戻る間際には、某国営放送の某国民的番組の電波にのり、電波上でも地球を征服しました。すごい。

その後、構成員のうち、デーモン小暮閣下だけが、地球上に残りさまざまな方法で地球征服を監視することとなりました。

 

デーモン小暮閣下は、悪魔であるにも関わらず、日本人独自の文化の"相撲"に詳しく、力士との交友関係もあると言われています。悪魔と交流する力士、わくわくするシチュエーションですね。

閣下は相撲の解説者兼ロックミュージシャン兼悪魔という恐ろしい人物です...

 

その後、地球メジャーデビュー20周年として、構成員たちが魔界から地球に集結し、大黒ミサツアーを行い、2009年には、地球征服10周年のセルフカバー大教典を発布しています。

2015年には、地球メジャーデビュー30周年として、期間限定で構成員が再集結し、大黒ミサツアーを行っています。

 

各構成員とも、音楽性に優れた能力を持った悪魔達であり、他の教団にも参加し、活動を行っています。

 

日本人ロックミュージシャンを代表して、イギリス、アメリカ、スペインなどの海外へも進出してくれる悪魔たちです。

理由として、音楽性・パフォーマンスの演奏方面も優れており、ロックとしての基礎がしっかりしていて、観客を喜ばせるテクニックを持っているなどと海外公演では絶賛されるほど一躍有名となった"聖飢魔Ⅱ"です。

サムネイル

補足として、最終の構成員のルーク篁は、今ではすっかり肌色メイクで、元ラクリマクリスティのKOJIと交流があるらしく、一緒にギターを弾くこともあるそうです。KOJIの方が、緊張しっぱなしだそうですが(笑)

⑦DEAD END

"DEAD  END"は、元LIARのMORRIEがボーカル、ギターがTAKAHIRO、ベースの”CRAZY” COOL_JOEの3人で、1984年の暮れに結成されたロックバンドです。

1984年というのは、あまりに昔のことのようですね。

その後TANOがドラムとして加入しました。

ジャンルは、メタル、ハードロック、ヘヴィメタル、プログレッシブロック、パンクロック、グラムロックと多様なロックの世界が広がっています。

 

"DEAD  END"のメンバーがそれ以前に参加していたバンドがいずれも、有名で実力のあったバンドでした。

そのため、DEAD ENDが結成されたときは、日本人ロックミュージシャンの人気メンバーが集まったこともあって話題になりました。

1985年に行われた初ライブでは、かなりの人数を集めています!

 

その後、全国的にライブツアー活動が始まりました。

1986年TAKAHIROが脱退し、YOUがギターとして加入しました。

その後もドラムが脱退、新しくMINATOが加入するなど、メンバーの入れ替わりが激しかったです。

1987年、MINATOが加入し、9月にメジャーデビューしました。

アルバム『GHOST  OF  ROMANCE』で国内デビューし、また、同じ年に全米でもアルバムがリリースされるほど有名な日本人ロックミュージシャンでした。

サムネイル

その後1990年に解散しましたが、2009年、再結成され『DEADENDツアー2009』で、ライブ活動が復活しました。

しかし、このツアーにはMINATOは参加しませんでした。

理由は、レコーディングは参加するがライブは不参加という契約だったようです。

ファンは残念だったでしょうね。

 

そして、2011年、再結成後2番目となるツアーをし、その間に3枚のシングルをリリースしています。

1月から2月にかけて、Acid  Black  Cherry主催のライブイベント『The  Sixth  Sense』に参加しています。

これは、Acid  Black  Cherryのyasuにとって"DEAD  END"は憧れの存在であり、影響されたバンドということから決まったという話も出ているほどです。同じ日本人からも憧れられる象徴のようなロックミュージシャンです。

 

2012年には、アルバムもリリースされ、メジャーデビュー25周年の全国ライブツアーが開催されています。

2012年から2013年にかけて、フェスにも参加し、ホールツアーも開催しました。

最近では、2015年9月に『四鬼夜行-六喰-』というツアーで日本人たちを支配しました。

サムネイル

"DEAD  END"は、テレビに出演することはほとんどなく、ライブハウスが活動の中心の場となっています。

そのため、チャートの人気ランキングに入った曲はありません。

 

また、"DEAD  END"に影響され楽器を持ったという人達も多く、ジャンヌダルクのyasu、ラクリマクリスティのSHUSEとHIROなど名前を挙げたらキリがないほど有名な憧れの存在のロックミュージシャンです。

 

 

MORRIEは、現在『CREATURE  CREATURE』を結成しており、HIROが参加しています。

HIROは、"憧れのMORRIEさんに誘われて加入したことは、凄く光栄なこと"と話しています。

多くの日本人ロックミュージシャンにとっての憧れであり、大きな影響力を持ったバンドといえそうですね。

⑧GReeeeN

"GReeeeN"と言えば、表舞台で顔出しすることがない日本人グループということで有名ですね。

メンバーは、HIDE、navi、92、SOHの、福島県出身4人組ボーカルグループです。

まあロックミュージシャンというジャンルではないですが、日本人なら誰でも知っているくらい知名度がありますね。

 

"GReeeeN"の名前の由来は、Green  Boy=新人の未熟者という意味が語源となっており、名付けたのはHIDEです。

"まだまだ未完成であり続ける、未知の可能性"という意味を込めたそうです。

"GReeeeN"のeの数が4つということは、メンバー4人のことを指しています。

メンバー全員が大学の歯学部出身という特徴から、ジャケットのGReeeeNのロゴマークは、笑顔になった時の歯並びをイメージして作られています。

ロゴマークの中の"歯"の角度は18°で、"smileを届けられる存在でありたい"というメンバーの想いも込められています。

 

結成は2002年、この時は"GReeeN"とeが3個になっていますが、2004年92とSOHが加入し現在の"GReeeeN"となりました。

2006年まで、インディーズで活動し、2007年シングルの『道』でメジャーデビューしています。

サムネイル

この曲は、シングルチャートで人気ランキング39位に入りました。

そっと背中を押してもらえる、元気と勇気をもらえる曲です。

 

作詞作曲は誰?

『道』は、"GReeeeN"の曲の中で、HIDEが作詞・作曲をした1曲です。

『道』と『絆』以外の曲の作詞・作曲は、バンド全体のGReeeeN名義となっています。

作詞で特徴的と言えるのは、"まっすぐ聞き手の心に訴えかけるメッセージ"が込められており、このことから[GReeeeNミュージック]と呼ばれています。

聞く人に"伝える"ということに重きをおいた詞です。日本人好みですね。

 

ジャンル分けが難しいのですが、初期のHIDEとnaviで活動していた頃は、ミクスチャーロックでした。

2人の趣向がハードでヘビーな"音"だったようです。実はロックミュージシャンが原点なんですね。

年とともに加入してきたメンバーの趣味も影響し始め、2004年92とSOHが加入すると、その音はロック、ヒップポップ、レゲエ、J-POPというように曲によって違ってきます。

そして、4人の持つ感性が融合しいわゆる[GReeeeNミュージック]が確立したというわけです。

デビュー曲の『道』は、まさしく[GReeeeNミュージック]を代表する曲で、せつないメロディラインと4人のハーモニーが絶妙な効果を出しています。

 

多数の曲の中でも、ロックっぽい1曲があります。

2枚目のシングルの『HIGH  G.K  LOW~ハジケロ  』です。

サムネイル

人気ランキングのチャートは97位と伸びませんでしたが、今までの[GReeeeNミュージック]とは一味違った仕上がりとなっています。

重く響く音、今までの[GReeeeNミュージック]とは違いますね、ロック好きの人には嬉しい曲かもしれません。

 

また、補足となりますが、仙台を本拠地とするプロ野球チームの某投手の登場曲としても起用されていることで、地元ファンの間では知る人ぞ知る有名な曲となっています。

オススメしたい1曲です!

サムネイル

"GReeeeN"の曲の中でも、オリコンチャートの1位を獲得したのは『キセキ』です。

キセキは、起きるもの、起こすものというポジティブな内容の曲です。

この曲は、大ヒットして一躍有名となり、学校やテレビ番組、CMなど、さまざまなところで起用されています。

カラオケの人気ランキングも常にランクインしてますね!

元気がない時、悩んだ時、落ち込んだ時、勇気をもらえ元気になれるのが"GReeeeN"という力です。

⑨感覚ピエロ

"感覚ピエロ"というバンドは、大阪出身の4人組ロックバンドです。

ジャンルは、ギターロックに入ります。ふざけた歌詞の曲に最高にかっこいいリフをぶっこんできます。

2013年にバンド結成し、それと同時に自分たちの自主レーベルも立ちあげているという異色のバンドです。

サムネイル

拝啓いつかの君へは「ゆとりですがなにか?」の主題歌に起用され、一躍有名となりました。

それまでほとんど聴くこともなかった"感覚ピエロ"というバンドを有名なロックミュージシャンとしました。

ファーストミニアルバム『ソンナノナイヨ』の発売から間髪入れずに、4枚のアルバムを自主レーベルからリリースしました。

その販売方法は、ライブ会場と通販限定という異色の方法でした。

 

2015年の初ワンマンツアーは、即完売。

またサーキット・フェスにも多く出場しており、入場規制がかかったことでも有名な存在となったバンドです。

CD発売は、自主レーベルからで地域的に名前も有名になり、完売していましたが、全国展開でのリリースCDは、2015年の『Break』、2016年の『不可能可能化』の2枚です。

あまりメディアに出ることはなく、ライブ活動に中心を置いていました。

台湾のWake  Up  Festivalにも出場した日本人として有名になっています。

『Break』は、シングルチャート人気ランキングでは22位となっていました。

 

メンバーの秋口は、自主レーベルJIJI  RECORDSの代表です。

"感覚ピエロ"のメンバーそれぞれが個性的な職業を経ているという点でも異色といえそうですね。

リリースまでの、全ての工程を自分達で行っているという点、まさしく"DIYの日本人ロックミュージシャン"といえるでしょう。

その異色さが、有名にもなっています。

⑩ORANGE RANGE

一時期、日本人なら知らない人はいないと言われたモンスターバンドです。

特に、真夏と言えば・・・"ORANGE  RANGE"といったように、沖縄ということや曲風が真夏の歌というイメージを思い浮かべることでしょう。

ジャンルは、ミクスチャー、オルタナティブ、パワーロック、J-POPと多種な曲風となっています。

ライブでの『キリキリマイ』ですが、HIROKIの歌いだし部分の音程がCDより低くなっていますね。

沖縄という地域から本州に向けて"桜前線北上"ということばで、音楽で自分達が侵略していくという想いが感じ取れます。

 

全員が沖縄県出身の日本人5人組で、リーダーのNAOTOは中学校の時には、既にバンドを組んでおり、卒業パーティで"GLAY"の『BE  LOVED』を演奏したという有名な伝説があります。

 

一旦このバンドは、卒業と同時に解散しました。

その後進学した高校で友人とバンドを組み始めました。

その後、メンバーのYOHの弟RYO、友人のYAMATOを誘い2001年現在の形で結成となったというわけです。

この時のドラムのKATCHANは、メジャーデビュー後の爆発的な人気と多忙からの腱鞘炎を発症、2005年に音楽性を理由として脱退しています。

その後のドラムは、サポートメンバーが担当することとなりました。

 

高校生としてのバンドで、主に活動の場はライブハウス、ストリートライブが中心で、年間700本にも及んでいました。

高校生バンドとしては、異例の人数を集めたことは、地元では有名な話となっています。

インディーズ時代のデビューは、2002年のミニアルバムの『オレンジボール』でした。

 

"ORANGE  RANGE"は、ボーカルが3人という異色のバンドです。

HIROKI、RYO、YAMATOの3人の声の音域が違っているので、三人三様の声質で、微妙なバランスが保たれているので、音の幅を広がらせていることが人気のようですね。日本人に好まれるのも3人ボーカルというところが大きいと思います。

 

"ORANGE  RANGE"の名前を一躍有名とさせたのは、2枚目のシングル『上海ハニー』でした。

その後発売されたシングルでは、5枚目となる『道シルベ~a road  home~』から13枚目の『チャンピオーネ』の9曲連続でシングルチャート人気ランキングの首位を取っています。

この話も、モンスターバンドとして"ORANGE  RANGE"の存在を有名にした話となりました。

 

その後の活躍はめまぐるしく、リリースするアルバムの全国ツアーも数えきれないほどでした。

その後、ロックミュージシャンなら誰でも経験する、自分達の本当にやりたい音楽とレーベル側との売れるための『食い違いの壁』にぶつかり、自主レーベルSUPER((ECO))LABELを設立しました。

 

リーダーのNAOTOの家庭環境が音楽に適しており、"ORANGE  RANGE"の曲の作曲・編曲しています。

実の双子の兄は"RYUKYUDISKO" というテクノグループです。

"ORANGE  RANGE"というバンド名の名付け親は、NAOTOのお母さんなんです。

同じ単語、ORANGEを繰り返すことによって、よりインパクトが増すという発想からでした。

 

NAOTOの話では、"小さなころ気が付いたら家の中にドラムセットがあった"という話もありました。

また、ほとんどの楽器を演奏することができます。

両親も音楽好きだったようで、そういった環境がNAOTOの制作活動の幅を広げ、良い曲ができあがっていったのです。

 NAOTOの音楽を通じての人脈は広く、いろいろな日本人ロックミュージシャンと交流し、影響を受け編曲やサポート、プロデュースも手掛けています。

 今後の活動が楽しみなNAOTOですね。

 

・盗作問題

"ORANGE  RANGE"の2~3の曲は、確かに以前誰かの歌かな? と思えるほど似ています。

そのため、原曲側と話し合いの結果、ロコローションは、のちにカバー曲と変更されて発売されています。

 

『道シルベ』から『チャンピオーネ』まで人気ランキングの1位を獲得していますが、曲風を見てみるとPOPな曲ですよね。

小学生にも受け入れられるような曲と音づくりです。

 

・ハードな曲として何曲か挙げてみましょう。

アルバム『musiQ』の中の『チェスト』、短い曲ですがハードな音でロック好きには好評です。

サムネイル

曲の途中に?キリキリマイキリキリマイ?という歌詞が入っています。

またRYOの低温の声がよく合っているワクワクする1曲です。

アルバム『ナチュラル』の『GOD69』もまたハードな曲です。

YOHの低音ベースが、響いている曲です。

このライブでは、CDの音源とは違っていて、NAOTOのギターがスパイスのような役目をしていますね。

『チェスト~キリキリマイ』のライブですが、やはりライブはいいですね~。

我を忘れて思わず飛びはねたくなります。日本人はちょっとライブではおとなしすぎますよね。

"ORANGE  RANGE"のライブでは、デビュー曲の『キリキリマイ』で締めくくられている恒例のラストの曲です。

 

"ORANGE  RANGE"は、一緒に楽しめるというバンドで有名になりましたが、現在でもメンバーが、それぞれ成長していっているロックミュージシャンの集合体といえるでしょう。


完全に独断と偏見で選んだ10組の日本人ロックミュージシャンを人気ランキングとしてご紹介いたしました。

あくまでも個人的な好みからの選出なので、今回のランキングには入っていないけど、本当はもっと人気があるバンドもいると思います。

ただ、独自の視点で選んだので、今まで聞いてきた音楽とは違う音楽を聞いてみる良いきっかけになると思うので、ぜひ今日を持ったアーティストがいれば聞いてみてください!

関連するイベント・ミュージシャン

 

LIVE & EVENT Searchライブ・イベントを探す

フリーワード検索
(ミュージシャン名・ライブ名など)
日付を選択
エリアを選択
ジャンルを選択

Musician Searchライブミュージシャンを探す

フリーワード検索
(ミュージシャン名・ライブ名など)
エリアを選択
ジャンルを選択

Page Up Page Up