Column コラム

ミスチルのインディーズ時代のアルバムCDの内容とは

日本でその名を知らない人は居ないのではないかと思うほど、国民的バンドとしての地位を確立しているMr.Children。彼らもインディーズ時代を経て現在の人気を手にしました。

そんなミスチルが活動開始し始めた頃からリリースしたアルバムの内容まで、インディーズバンド時代のご紹介をします!

まず、ミスチルと言えば桜井和寿と言われるほど、メンバーの中での存在感は大きいですね。

その彼の幼少のころからの育ち方に、インディーズから今までのミスチルの原点があると言ってもいいでしょう。

桜井の育ち方が良い影響を

両親からは勉強のことは何も言われなかった代わりに「自信を持って他の人より自分が優れているという『何か』を身につけろ」と言われて育てられたとの話があります。

また、小学校へ入学した当時は、身体的なことでクラスの人にからかわれたけど、それで注目を浴びている自分がいるということに、とても快感に近い、気持ち良さを感じたそうです。

3人兄弟で育った桜井は、兄がエレキギターを、姉もフォークギターを持っていたという音楽的に恵まれた家庭環境でした。もちろん、兄弟が楽器をやっていたら自分もしたくなるもので、桜井も中学からギターを始めました。

桜井和寿の人生は、子どものころから目立ちたがり屋で、得意なスポーツ→悪グループ→ギターへと興味の方向を変えていきました。目立つようなことばかりですね。

この桜井の目立ちたがりで、積極的な性格が今のミスチルを作ったといってもいいものでしょう。

インディーズとしての活動期間と活動していた場所、メンバー

活動期間

桜井は音楽をやりたい一心で軽音楽部の部活のある高校を選んで受験し、そこで今のミスチルの母体となったバンドができました。

そのバンドに、現メンバーの中川敬輔、野球部にいた田原健一を誘い、そして桜井和寿と女子のキーボード、現メンバーの鈴木英哉とは違うメンバーがドラムを担当していました。この時点で、既に現在のミスチルのうち3人が揃っていることが驚きますよね。

こうして1985年に、ミスチルの前身となる、インディーズバンド「Beatnik」ができました。

そして、その後ドラムが脱退したため、別のバンドにいた鈴木英哉がオーディション審査の為の期限付きでサポートという形で桜井のバンドに参加し、そのまま正メンバーへとなり、現在の4人体制が完成した後、バンド名をTHE WALLSに改名しました。

桜井は、1年のころからプロへの道を意識していて、このころからオーディションにデモテープを送っていたそうです。
(この頃はCDがなかったのでカセットテープでアルバムなどは制作、配布されていましたね!)

その当時、桜井は、プロになるための原動力として必要なモノと言われる「貧乏とか、複雑な家庭環境といった恵まれない環境」というものが自分にはなかったと言っています。

いわゆる”ハングリー”な状態から立ちあがってこそ、プロになれると思っていたようでした。それでも桜井は後に日本を代表するプロのアーティストへと成長しましたよね。きっと誰よりもプロになりたいというハングリーさを持っていたんじゃないかと思います。

Mr.Children<ミスチル>として本格的にインディーズとして活動開始したのは高校卒業後からです。

THE WALLSから改名して、1989年に”Mr.Children”と改名した理由は、当時の世相の影響もあったようです。

世界中の飢餓、病気に苦しむ子供たち、そして貧困の子供たちを写したロバート・キャパの写真集のタイトルや、イギリスのバンドのアルバムのタイトルにも馴染み深い「チルドレン」という響きを彼らは好み、しばらくは”Children”というバンド名で活動していました。

その後大人になったときの、Childrenのままじゃ困るということで、”Mr.”を付けたそうです。大人から子どもまで幅広く聞いてもらいたいという理由は、デビューしてからの後付けの理由だそうです。その想いの通り、ミスチルは今では日本中で大人から子どもまで誰でも知っているバンドですよね!

活動拠点

改名してからのMr.Childrenは、主に渋谷のLA  MAMAや新宿LOFTなどのライブハウスを中心に活動していました。

その時、対バンのライブの選曲はコピー曲が中心だったのに対して、ミスチルはオリジナルを2・3曲入れていたということです。

他のインディーズバンドがコピーに頼っているのに対して、オリジナルを演奏しているという時点で若干目立ちますよね。
この頃からミニアルバムCDを制作するなど、頭一つ抜きん出ていました。

事実、この時代のLA MAMAやLOFTからは現代でも有名なバンドを多数排出しています。

この頃のミスチルの目標として、ライブのたびにオリジナル曲を増やしていこうということだったと言っています。

レコード会社から声がかかることも多かったようですが、主としてソロとしての「桜井和寿の詩・曲の良さ」が先行して注目を浴びていたようです。

バンドに声をかけられたはずが、いつの間にか桜井和寿だけのソロデビューという話にすり変わっていたりと、メンバーの間では、レコード会社というものに不信感が芽生えていました。確かに桜井和寿という人は、驚くほどの才能を持っている人ですよね。

でも、現在、国民的バンド、ミスチルとして4人でデビューしているということから、桜井和寿のメンバーを大切にする気持ちが伝わってきます。

その後、現在も所属しているレーベル”トイズファクトリー”から声がかけられましたが、バンドとして再度見つめ直したいという理由で3か月間休養宣言したそうです。

この間に、他の人のいろんな曲を聴き、”ロック”というジャンル、領域にこだわっていたことがくだらなく思えてきて、ジャンルにこだわらない音楽を作ろうと思うようになったそうです。

”こだわり”を捨てて、自由な音を求め曲を作ることへの方向転換をしてきたことが、ミスチルというバンドのインディーズ時代の最終章なのではないでしょうか。

そして、休養期間終了後のバンドサウンドは、J-POP、ポップロック、フォークロックへと変わり、多くの人の支持を集めることになりました。

では、こだわりを捨てる前はどんな楽曲を演奏していたのでしょうか。次項ではインディーズ時代のCD、楽曲についてご紹介します。

インディーズ時代のCD

Mr.Children<ミスチル>がインディーズ時代に初めて出した楽曲は1987年12月リリースの”ticket”です。

この楽曲は改名前のTHE  WALLS時代のもので、今はあまり使わなくなった「カセット」を媒体としてリリースされました。

5曲収録されていたようです、音源として残っていないのが残念ですね。

 

Mr.Childrenとしての最初のリリースは「Hello. I Love You」という4曲入りのミニアルバムです。

収録曲

1.この雨あがれ

2.ベルリンの壁

3.Chu- Chu- Chu

4.君だけの一日

 

その後1990年5月「そよ風の唄」、1991年7月の「MR.CHILDREN」、1990年12月の「19:00発、X’masトレインに飛び乗れ」と続いて発表しています。

インディーズ時代のミスチルには、この他に未発表の曲も多数あり、レアな曲も多数残しています。

ファンにとって、たまらないものでしょうね。

1991年の「MR.CHILDREN」までが自主制作、ライブ会場で無料配布されたり、300円で販売されていました。

 

その後1992年の「MR.CHILDREN DEMO TAPE」は、トイズファクトリーが制作したもので業界向けに配布されたものです。

1991年の「MR.CHILDREN」までの音源が、ミスチルのインディーズ時代といえますね。


1992年5月にアルバム「EVERY  THING」でメジャーデビューし、その後の活躍は、彗星の”ほうき星”のごとくすさじいものでしたね。

今のハタチ、20歳代の女子達はこの後の数年後に生まれているのですものね。

インディーズのミスチルを辿ってみる旅もいいかもしれませんよ。

レアな未発表曲も発見したり、面白い旅になるかもしれません。

 

私ごとですが、大好きな曲は、どうしても「イノセントワールド」になってしまいますね。

2016.7月の宮城県石巻のフェスにも来てくれて、とても元気づけられました。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/9a/470fc8296656fb2017de1b93165d4c2d.jpg

ありがとう!! ミスチル

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